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Channel: 防災 –オルタナS

ベネッセ子ども基金、紙芝居で「防災」伝える

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大震災はいつどこで起こるか分からない。まだ言葉もおぼつかない未就学児には、「自分の身を守るための知恵」をどう伝えたら良いのだろうか。その一つの解として、無償で保育園や幼稚園に防災紙芝居を配布するのが公益財団法人ベネッセこ

女性起業家、「防災を仕事にする」という生き方

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英国の心理学者ジョン・リーチ氏の研究では、災害時に落ち着いて行動できる割合は10~15%のみで、7割以上が何もできない状態になるとされている。首都直下型地震(南関東で発生するM7程度の地震)が30年以内に70%の確率で起

「ダサイ」から「オシャレ」ヘ、新しい防災のカタチ

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防災に対してあなたはどんなイメージを抱えているだろうか。地震、大雨、台風など自然災害が多発する日本では、頭では必要だと分かっていても行動している人はわずかだ。「デザイン性がない防災頭巾」や「地味な非常食」を想起してしまい

オシャレな防災は、ダメですか?

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2014年に設立した一般社団法人防災ガールは、「脱・ダサい防災」を掲げ、オシャレな防災グッズを開発する。ボランティアは120名以上おり、「防災」のGoogle検索ランキングでは5位に入ることもあった。防災への意識を変える

「本棚の安全な位置は?」:大手3社が子ども向け防災

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震災の経験を次世代に継承することを目的に、産経新聞社、積水ハウス、大阪ガスが協働で取り組む「防災キッズ育成サポートプロジェクト」がこのほど始まった。非常食づくりや防災学習ツアー、防災・減災の専門家を招いたトークショーなど

神戸市、耐震化率向上へクリエイターらに呼びかけ

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神戸市の呼びかけでクリエイターやデザイナーが集まり、子育て・若年世帯に向け、住宅の耐震化を啓発する「耐震で安心 TAIAN PROJECT」がこのほど始動した。神戸市では平成32年度に耐震化率95%(旧耐震住宅数約3万戸

「大切な人のために防災」:中高生向け映画製作へ

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インディーズドキュメンタリー映画としては異例の全47都道府県上映を達成した防災映画『あの街に桜が咲けば』製作陣が、新しい作品に取り組んでいる。新作は国内の災害関連地を取材し、「大切な人のために防災をしたくなるような温かい

大震災から23年、神戸で耐震をテーマに展示会

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阪神・淡路大震災から23年目を迎える神戸で、1月16日から26日まで、安心・安全な住まいについての展示会「すまいとくらしの安全・安心 未来展」が開催される。地震などの自然災害などに備えた建築技術や知識、制度、耐震リノベーションの実例を紹介し、住まいの耐震化に関心を持ってもらうのが狙いだ。(オルタナS関西支局特派員=立藤 慶子)

昨年、同会場で実施した際の様子

展示会会場は、神戸市役所1号館2階市民ギャラリー。行政、研究機関、民間企業など11団体が参画し、安全な住まいをテーマに出展する。

展示内容は、世界最大の耐震実験施設、E-ディフェンス(兵庫耐震工学研究センター)が実施した木造・免震・大型建物の振動破壊実験映像や、耐震改修現場の様子を収録したオープンハウス疑似体験動画のほか、中古リノベーションの実例写真、工法の違いによる耐震性能を比べられる電動式耐震構造模型装置など、多数。

さらに阪神・淡路大震災の記念日である1月17日には、E-ディフェンスが作成した地震被害のVR(仮想現実)体験システムを、研究員の解説付きで体感できる(VR体験は13歳以上限定、体調不良時は不可)。

別会場となる神戸市役所4号館(危機管理センター)1階本部員会議室では、各専門家による連続セミナー・相談会も行う。

1月16日、クリエイティブユニット天満販売促進部によるトークイベントを皮切りに、17日は一級建築士・前田邦江氏による「命を守る一室耐震シェルター」、22日は積水ハウス総合住宅研究所・東田豊彦氏による「もしもに備える住まいと暮らし」、23日は神戸のリノベ会社G-FLAT代表・山野大祐氏による「リノベーションと耐震について」が予定されている(いずれも14時~16時半)。

セミナーの後には、神戸市すまいとまちの安心支援センター「すまいるネット」による住宅耐震化の説明・相談会も実施する。

神戸市では、平成28年度から「耐震で安心 TAIAN PROJECT」と銘打って、昭和56年(1981年)5月31日以前に建築された旧耐震基準住宅の耐震化促進のための普及啓発の取り組みを、事業者や地域住民、クリエイター、研究機関などと協働で実施している。同展示会はその一環で主催される。

詳細は、「耐震で安心 TAIAN PROJECT」fecebookページ


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オルタナ51号では寄付を特集

第一特集は「2020年、寄付3兆円規模へ」

オルタナ51号(12月18日販売)では、「寄付」を特集しました。寄付を社会課題の解決に不可欠な武器ととらえ、戦略的に寄付を集める国内外の取り組みを紹介しています。詳しくはこちら

お知らせ オルタナSでは、社会問題の解決につながる活動を行う若者を応援しています。自薦・他薦は問いませんので、おすすめの若者がいましたらご連絡お待ちしております。記事化(オルタナS/ヤフーニュースほか)に加えて、ご相談の上、可能な範囲で活動の支援をさせていただきます。お問い合わせはこちらから


「鎮守の森」をヒントに、災害から命を守る森づくり

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神社などの周りをこんもりと守るように植わっている「鎮守の森」。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、津波でコンクリート堤防や松林がことごとく破壊される中、この森だけは津波から流されずに残りました。先人より伝わるこの森が、地域に豊かな恵みをもたらすだけでなく、災害時に「いのちを守る森」として、役立つ機能を担っていたのです。この「いのちを守る森」を後世へと伝えたい──。「鎮守の森」をモデルとした森づくりを行う団体を紹介します。(JAMMIN=山本 めぐみ)

■「鎮守の森」をモデルに44万本の苗木を植樹

「鎮守の森のプロジェクト」の理事長を務めるのは、細川護熙(ほそかわ・もりひろ)元首相(左から3人目)。高知県南国市で開催された植樹祭にて

公益財団法人「鎮守の森のプロジェクト」(東京)は、東日本大震災の翌年に活動を開始。「鎮守の森」をモデルにした自然災害に強い森づくりを各地で行っています。

「これまで、全国7箇所に447,901本の木を、50,456人のボランティアの方々と一緒に植樹してきました。小学校や幼稚園の周囲に作った小さな規模から、宮城県岩沼市沿岸部の約10キロにわたって30万本の木を植えた大規模なものもあります」

そう話すのは、「鎮守の森のプロジェクト」渉外の石森(いしもり)さん。活動開始から6年、一昨年からは活動の幅を東北から日本全国へと広げ、「災害からいのちを守る森」づくりを進めています。

■「鎮守の森」の威力

そもそも「鎮守の森」とは何なのでしょうか?そして、「鎮守の森」がどのようにして自然災害から私たちを守る役割を果たすのでしょうか?

東日本大震災の津波にも流されず、生き残った鎮守の森。写真:佐脇充(BEAM×10)

日本各地のお寺や神社、古い屋敷などに残されている「鎮守の森」は、その土地本来のふるさとの木による森で、何百年も前からある森です。

日本の国土を多く占める森林ですが、自然の森はほとんど残っていないのだそうです。「鎮守の森のプロジェクト」の副理事長である植物生態学者の宮脇昭(みやわき・あきら)博士の調査によると、戦前、日本全国にはおよそ15万箇所以上の「鎮守の森」があったとされますが、現在その数は非常に少なくなってしまいました。

「鎮守の森」は、その土地本来の木で構成されていることから、地域の自然環境を改善すると同時に、根が深くしっかりと土地に張り巡らされ、台風や豪雨、津波でも簡単に倒れることがありません。

そして、この「鎮守の森」をモデルにした自然災害からいのちを守る森づくりの特徴について、石森さんは次のように教えてくれました。

植生調査の様子

「私たちの森づくりの特徴は、まず植樹する土地の植生調査をして、その土地に適した十数種類の常緑広葉樹(シイ・タブ・カシなど)を密植・混植し、互いに競争させながら森をつくります。十数種類の常緑広葉樹を植える森は、杉や松などの単植林に比べ『根が真っすぐ深く張る』『緑の表面積が多い』などの特長があります。これにより、台風や豪雨でも倒されにくく自然の土留め効果のある森となり、災害時に二次・三次の被害を防ぐことができます」

■森の構造に、津波に強い秘密があった

東日本大震災では、流された木々が二次災害・三次災害を引き起こした

「各地の気候や環境によって『鎮守の森』を形成する木は異なるが、どの場所でも、様々な種類の高木、亜高木、低木、下草、また土の中のバクテリアやカビ、ミミズなどと関わり合いながら共生し、多層構造の森を形成しています」と石森さん。

東日本大震災では、海岸沿いの松が津波によって根こそぎ倒され、さらに内陸部に流れて家を破壊するなど二次災害を引き起こしました。しかし一方で、古くから自生する「鎮守の森」は、大きな津波に流されることなく、しっかりと生き残っていたのです。

津波にも負けず残った森は、車などの漂流物を受け止める役割を果たした。宮城県多賀城市にて

「さらに、高木や低木など多層構造の森が壁となって津波のエネルギーを吸収し、威力を最小限に抑えると同時に、引き波の際に津波に流された家や車などの漂流物を受け止め、沖へと流れてしまうのを食い止めました。まさに、災害からいのちを守る森だったんです」

そのことを証明するある森がありました。宮城県多賀城市には、宮脇博士が中心となって「鎮守の森」をモデルに植樹した森がありました。東日本大震災の発生時、この森は植樹からたった7年。しかし、津波に負けずそこに残っていただけでなく、引き波がさらおうとした多くの物を受け止め、守ったのです。

■過去の災害では、火災からもいのちを守った

1995年の阪神淡路大震災にて。常緑広葉樹の並木で火は止まり、小道を一本隔てた集合住宅は延焼を免れた。兵庫県神戸市にて

「鎮守の森」が人々のいのちを守ったのは、津波からだけではありません。1923年の関東大震災、また1995年の阪神淡路大震災の時にも、昔からその土地に自生した常緑広葉樹が水分を多く含んでいたために延焼を食い止め、火災から人々の命を守っていました。

「敷地の周りを常緑広葉樹の木で囲まれた場所にいた人たちは、延焼の被害を受けずに済みました。津波対策として沿岸部に植えるだけでなく、災害時に人々の避難先となる学校や、多くの人が集まる商業施設やオフィスビルの周辺に『鎮守の森』をモデルにした森をつくることで、新たなかたちで人と森が共生していけるのではないか」と石森さんは話します。

■「鎮守の森」はどのようにつくるのか

「鎮守の森」をつくるにあたっては、気候などの面も含め、その土地に昔から存在した、その土地に本来ある木であることが条件となります。

「まず現地で植生調査を行い、その土地に昔から存在した、その土地に本来ある樹種を選定し、現地でどんぐりを拾い、ポット苗に育ててから、混植・密植しています」と石森さん。

「鎮守の森のプロジェクト」が実施したポット苗講習会の様子

「30cmほどのポット苗は、根を切る必要もなくそのまま植えることができ、成木を植えるより、根づきやすいです。また、古くからある『鎮守の森』同様、いくつかの種類の高木や低木を一緒に植えることで、木々が競争し合って成長が加速します。こうして植えられた木々は、その地域に適した『いのちを守る森』へと成長し、20年で立派な森になります。こうして植えられた苗木は、植樹後3年間はメンテナンスが必要ですが、その後は長期的なメンテナンスも必要ありません。宮脇昭博士によると、自然の力で循環し、9,000年持続する森になると言っています。今後人口が減っていく中で、人手やコストのかからないエコな防災システムを後世に残していくことができるのです」

■そして、新たないのちをも育む場所へ

植樹祭にて。全国各地からボランティアが集まり、一本ずつ丁寧に苗を植える

石森さんは、活動について次のように話してくれました。「『災害からいのちを守る森』を作る、ということが私たちの使命ですが『鎮守の森』がもたらすのは、防災の機能だけではありません。その地域本来の森は、もともとそこにいた在来の生物、鳥や昆虫、動物を呼び戻し、新たないのちを育みます。また、ミネラルを大地に与え、環境改善にもつながります」。

災害からいのちを守るだけでなく、さらに新たないのちを育む「鎮守の森」。日本のみならず、世界各国からも注目が集まっています。

■「鎮守の森」づくりを応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は「鎮守の森のプロジェクト」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。1アイテム購入につき700円が「鎮守の森のプロジェクト」へとチャリティーされ、苗木購入のための資金となります。

「JAMMIN×鎮守の森のプロジェクト」1週間限定のチャリティーデザイン(ベーシックTシャツのカラーは全8色、他にパーカーやマルシェバッグ、キッズ用Tシャツなどもあり)

JAMMINがデザインしたTシャツに描かれているのは、近代的なビルと、もこもことした広葉樹がひしめき合う姿。現代に合ったかたちで、私たちの暮らしと森が隣り合わせで寄り添いながら共存していこうという思いを表現しました。チャリティーアイテムの販売期間は、3月5日〜3月11日までの1週間。JAMMINホームページから購入できます。

JAMMINの特集ページでは、「鎮守の森のプロジェクト」の活動について、より詳しいインタビューを掲載中!JAMMINのホームページよりご覧ください。

「あの日学んだことを、この森に託したい」。「災害からいのちを守る森」をつくる〜鎮守の森のプロジェクト

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしています。

【JAMMIN】
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震災時に必要な支援を、障がい者への意識調査

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東日本大震災から7年、熊本地震から2年を迎えるにあたり、障がい者約300人を対象に「防災に関するアンケート調査」が実施された。震災時には迅速な避難が求められ、場合によっては避難所での長期間にわたる生活が必要になる。しかし、障がい者にとっては、 こうした避難や避難所での生活が大きな課題になることも少なくない。今回の調査でも、過半数が避難時や避難所での生活において「障がいによる支障があると思う」と回答した。(オルタナS編集長=池田 真隆)

避難する際に支障があると答えたのは55%

この調査を行ったのは、障がい者の就労支援などのソーシャルビジネスを展開するゼネラルパートナーズ(東京・中央)の調査・研究機関「障がい者総合研究所」。来る震災に備え、障がい者がどのような不安を感じ、どのような対策や支援を求めているのかを調査した。対象は、20~60代の身体・精神・知的障がい者271人。

「避難する際に、障がいによる支障はあるか」という問いには、55%があると回答した。また、「避難所で生活する際に、障がいによる支障はあるか」という問いには64%があると答えた。

■障がい者が有事の際に求めていることは?

4割が災害時に支援してほしいことがあると回答

災害時に自治体や周囲に支援してほしいことがあると回答した人は40%であった。具体的には、聴覚障がいや視覚障がいの人は情報保障、上下肢障がいの人は避難誘導の支援、内部障がいの人は病状に応じた対応などを求めている。精神障がい者は、避難所などで大勢の人と生活することの困難さへの理解や、パニック時の対応など心のケアを求める声があった。また、障がいの種別を問わず、薬の調達への要望が見られた。具体的には下記。

・避難所までの手引き、避難所内部の様子を教えてほしい。紙などで情報が配布された場合の代読をお願いしたい(男性/30代/視覚障がい)
・薬がなくなった場合の病院・調剤薬局への優先権がほしいです(女性/40代/心臓機能障がい)
・薬の手配や調達の手助けをしてほしいのと、大勢の人の中には居ることができないことを理解してもらいたい(男性/50代/うつ)
・災害時はパニックになってしまうので、恐怖や不安を感じやすいということを分かってほしい(女性/30代/統合失調症)
・ケースワーカーや民生委員による声掛けを日頃から行ってほしい。それにより、地域の関係者と日頃から人間関係を築ける(男性/30代/発達障がい)

こうした声を受け、同調査を実施した障がい者総合研究所 所長の中山伸大さんは、「個人が取り組める対策には限界がある。大震災に対する不安や困り事に対して、周囲が取り組めることを障がい者と共に考え、災害に備えることが必要」と述べた。

■ゼネラルパートナーズ社が行った防災に関する調査の結果はこちら


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「東日本大震災から7年」障がいと災害、避難の課題

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震災などの有事の際、障がいがある人はどのようなことに困るのか。実際に7年前の3月11日、東日本大震災で被災を経験した身体・発達障がい者4人に集まってもらい、当時のことを振り返ってもらった。そこから見えてきたのは、それぞれの障がいによって、困り事や支援してほしいことに違いがあるということ。震災が起きた時にどのように障がい者と関わればいいのか、当事者の声を元に考えてみよう。(オルタナS編集長=池田 真隆)

東日本大震災が発生した当時を振り返ってもらった

障がい者の就労支援などのソーシャルビジネスを展開するゼネラルパートナーズ(東京・中央)が行った「防災に関するアンケート調査」によれば、回答者の過半数が避難時や避難所での生活において「障がいによる支障がある」と答えた。

では、一体どのような支障があるのか。実際に東日本大震災で被災した経験を持つ当事者に当時のことを振り返ってもらった。

◆矢嶋まろさん:障がい者水泳の元選手。事故と病気で車イスでの生活を送るようになった

◆長谷ゆうさん:広汎性発達障がいがある。障がいのある女性向けのフリーペーパーでライターとして活動している

◆Y.Mさん:2016年に注意欠陥/多動性障がい(ADHD)と診断される。東日本大震災の発生時は岩手県で被災を経験

◆K.Wさん:趣味はスポーツ観戦。20歳前に筋ジストロフィー(ベッカー型)発症。37歳6か月で車イスの生活となる

――皆さんは東日本大震災で被災を経験されていますが、その当時のことを教えてもらえますか。

矢嶋:東日本大震災が起きたときは、都心の溜池山王にある職場で働いていました。オフィスビルにいたのですが、同僚の男性におんぶしてもらいながら階段を降り、都内にある自宅マンションまで送ってもらいました。ただ、マンションの6階が自宅なのですが、エレベーターが止まっていたため、再度おんぶしてもらい、自宅になんとかたどり着けました。

K.W:私も震災発生時は渋谷にある職場で働いていました。エレベーターが止まっていましたが、ビルの管理者に頼んで動かしてもらい、なんとか降りることはできました。

ですが、電車は止まっていたし、バスも人で溢れていて乗せてもらえないと判断し、家までの約10キロの道のりを電動車イスで帰りました。電動車イスのバッテリーが切れたら、そこでおしまいだったので、かなり不安でした。夜の9時ごろに自宅近くに戻ることができたのですが、自宅マンションのエレベーターが止まっていたため、自宅に戻ることは諦めて、近くの体育館に避難して一晩を過ごしました。

長谷:私は九段下にあるオフィスビルで働いていたのですが、会社から帰宅命令が出て早めに帰ることになりました。けれど、すでに電車は止まっていて、歩いて帰り始めました。日が落ちても歩き続けましたが、自宅までは遠く、一人だと不安なので、途中で杉並にある中学校の体育館に避難して、その日を過ごしました。

Y.M:ちょうど3月11日は、兄が住む岩手県の陸前高田市に着いた日でした。ぼくは兄とともに高台に逃げたのですが、津波により、兄のアパートは全壊。兄と一緒にいたことで本当に救われたと思います。3日ほどはライフラインが停止した状態で車の中や民宿で過ごし、4日目に東京へ帰るバスに乗って自宅へ戻れました。

――避難時にはどのようなことで困りましたか。

Y.M:当時はADHDと診断される前でしたが、あいまいな指示をもらうとどう動けばいいのか分からなくなってしまう特性が当時からありました。「高台に逃げて下さい」という警報が流れましたが、具体的にどれくらいの高さなのか分かりません。兄と一緒にいたのでよかったですが、もし一人だったら、どうなっていたことか。

長谷:私は、情報過多になってしまい、どの情報を信じていいのか分からず困りました。あと、私は独り言が多いので、その独特な言動や行動を見ていて、不快に感じてしまう人はいると思います。なので、プライバシー空間がない避難所は正直利用をためらいます。つい声が大きくなってしまうので、それがきっかけでトラブルに発展してしまうことがとても不安です。

K.W:私が感じたのは、電車やバスなどの公共交通機関が人であふれかえり、車イスユーザへの対応が難しくなってしまうということです。有事だから仕方がないかもしれませんが、車イスだと公共交通機関に乗ることを諦めざるを得ませんでした。

矢嶋:私は乳製品アレルギーがあるため、食品や水などは十分に備蓄していたので、特に飲食などに関しては問題がありませんでした。だた、先ほどお話したように、エレベーターが止まってしまい、いつ動くのか分からないことに不安を感じていました。

――お話をうかがっていると、避難時や避難所での生活において、それぞれに困られた場面や不安があったのだと感じました。こうした有事の際の困り事や支援の方法について、周囲に知ってもらうことも必要なのでしょうね。

長谷:そうですね。私は、困り事を抱えている障がい当事者同士だからこそ、助け合えることも多いと思っています。なので、もし震災時に、車イスで移動できずに困っている人がいたら、すぐに飛んでいってでも何かしたいです。

K.W:震災などの非常時には、人は、どうしても自分のことで精一杯になり、こころの余裕がなくなってしまいます。そうした中で、どうしたら障がいある人が、後回しにならずに対応していくことが出来るかを考えていく必要があるのではないかと思っています。

Y.M:もちろん、こちらも100%の配慮は求めていません。障がい者に対して、どう接したらいいのか分からないという人も少なくないと思います。特別なことではなく、ただ少し話しを聞いてくれるだけでも、ありがたいです。

矢嶋:そうですね。もしも次に大きな震災が来たとして、私たち自身が防災対策を事前に取っておくことも必要だと思いますが、私たちのような困り事を抱えている人が、少しでもいることを知ってもらえたらと思います。「何かできることはありませんか?」この一言だけで、救われるような気がします。

■ゼネラルパートナーズ社が行った障がい者への防災に関する意識調査の結果はこちら


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被災地支援物産展と地域防災、あきる野市で

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5月19―20日に東京都あきる野市で被災地復興支援イベントが開かれた。発起人のあきる野市・陽向寺の鈴木暢(とおる)住職は2011年以降、同門の仲間と災害ボランティアチーム「臨坊」を結成、各地で重機操縦や犠牲者の慰霊などに関わってきた。今回も震災風化の防止と経験の共有、そして地域防災への意識向上を主眼に置いた。(文・写真=福地 波宇郎)

19日には東日本大震災や熊本地震、北部九州豪雨などの被災5県などがブースを出展、「買って応援、食べて応援物産展」があきる野広場で開かれ、会場には各地の物産を求める人たちで賑わいを見せた。「九州での災害がこんなに広範囲だとは知らなかった」と訪れた70代の女性は語り、熊本の特産品を手にしていた。

物産展ではご当地キャラの登場や僧侶による千響太鼓演奏も

翌20日にはあきる野市・地蔵院で「地域防災を考える講演会、熊本地震から2年-現地の今は」を開催、100席の会場は満席となった。
 
南阿蘇の老舗旅館、「地獄温泉・清風荘」社長の河津誠さん(55)と二人の弟が登壇、地震と土石流の被害を受けたときの様子を伝え、「うちの再開はまだでも、阿蘇の8割の観光施設やレストランは元に戻っています、どうぞ南阿蘇に遊びに来てください」と語った。地域全体の復興を目指して旅館の復活にも奮闘している。復活を果たしたら老後はこの経験を各地に伝えていきたいとの思いも語った。

講演会に南阿蘇から5人が登壇、震災の体験を語り継ぐ

震災後、キャンパスを南阿蘇から移転した東海大学農学部の学生ボランティア団体、「阿蘇の灯(あかり)」からも2名が登壇。代表の四年生、林風笑(かざえ)さんは被災時にアパートが倒壊、九死に一生を得た。「美しい自然と人間関係にあふれた学生村があった大好きな阿蘇黒川地区にもう一度キャンパスを戻したい」と気持ちを訴えた。

学生たちも代が入れ替わり、後輩たちは震災も阿蘇のキャンパスも知らない。仲間を失った悲しみや被災時のつらい思い出を乗り越えながら、後輩や全国の人たちへ「語り部」として震災を風化させず、思いを伝えていく活動を行っている。

南阿蘇黒川地区で語り部として話す林さん(左)

あきる野市と近隣2地区の合計人口は約10万人。そこに配備されている救急車は3台しかない、と鈴木住職は聴衆に語りかけた。共催した災害支援NPO OPEN JAPANの肥田浩さんも日本各地での活動経験から地域コミュニティの重要性を説いた。

首都直下・南海トラフ地震の予測がニュースにも上がる昨今、都市部での大規模災害が起きたときにまずは自分の命は自分で守り、近隣の人々はそれぞれに助け合わねば災害直後の状況を乗り越えることはできないのが現実だ。

各地での被災経験をつなぎながら、「次の災害は必ずやってくる」と備えることの大切さを訴える会となった。

阿蘇地獄温泉すずめの湯 復興ファンド

阿蘇の灯 Twitter


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「障がいと震災」当事者と語る

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障がい者の就職や転職支援を行うゼネラルパートナーズ(東京・中央)は3月19日、防災の専門家や実際に障がいのある人を招き、「障がい者と震災を考えるワークショップ」を開いた。障がいがある人が被災体験を参加者に共有し、障がい別の避難方法、防災準備、連携方法などを話し合った。同社は、将来的にはワークショップで得た知見や仕組みを他企業にも提案していきたい意向だ。(環境ライター=箕輪 弥生)

多様な障がいの特性を理解するため、社員はグループをいくつか変更しながらディスカッション=3月19日、ゼネラルパートナーズ社で

障がい者の過半数が避難に困難を訴える

昨年は大阪府北部や北海道胆振東部の地震、そして西日本豪雨災害など、全国で立て続けに自然災害が起きた。気候変動の影響もあり、台風や豪雨のリスクは高まる一方だ。

頻発する災害に対して、障がい者はどのような課題や意識を持っているのだろうか。「障がい者総合研究所(運営:ゼネラルパートナーズ)」の2018年の調査によると、避難時や避難所での生活に、障がい者の過半数が「障がいによる支障がある」と回答している。

この日ワークショップに参加した元レーシングドライバーの長屋宏和さんは、F1日本グランプリのレースでの事故が原因で足に障がいがあり、車椅子を使っている。ある日一人暮らしをしている10階のマンションで入浴中に火災報知器が鳴った。そのとき、ヘルパーはいたものの、階段を降りるのは無理だと感じたという。幸いにも誤報だったが、「火事になったら逃げられないと実感した」と話した。

杉内周作さんは家族と避難場所を伝える方法を独自に決めている

視覚障がいがある杉内周作さんは、アテネパラリンピックのメダリストで現在も水泳を後輩に教えているが、合宿などの時も「今日、災害が起きたらどうしよう」と常に考えているという。メンバーには多様な障がいがあり、それぞれに身体的条件も違うので、どういう状況だったら誰が誰を支援するかなども想定するという。

ゲスト5人の災害時の体験を聞いて、障害科学を専門とする筑波大学の野口代准教授は、「障がいの多様性を理解した上での支援が必要」と話した。たとえば、視覚障がい者へ「クロック・ポジション」*1で具体的に指示をする、聴覚障がい者には口の形が見えるように話すなど障がい別の支援方法が有効であることを紹介した。

*1クロック・ポジション:どこに何があるかを時計の短針にたとえて知らせる手段

情報入手と移動をどうするか、平時の準備とコミュニケーションが重要

ビル1階への防災訓練を実施。運動障害のある方の移動を支援するのは最低でも2人以上が必要だ

5人の障がい者のリアルな災害時の体験を共有した後、障がいがある人と同社社員がグループとなり、実際にビル1階に降りる避難体験を行い、気付きをシェアした。

あるグループからは、「自分は置いて先に逃げて、と避難を拒む高齢者や障がい者もいるかもしれない」と問題提起があった。これに対して社内でも普段から障がい者と「災害の時はどうするか」を話し合うことの重要性が指摘された。

一方で、視覚障がいがありながらデジタル技術を使った障がい者支援の仕組みを開発している井上直也さんは、ビル1階に降りて、すぐに避難場所を調べてグループメンバーに伝えた。同じグループのメンバーは「障がいがあるから支援される側、ないから支援する側ではなく、人それぞれ得意なことが違い、お互いに助け合えると気づいた」と話す。

視覚障がい者のデジタルサポートを行う井上直也さんは情報入手では健常者を超える技術をもつ

東日本大震災時に宮城県東松島市で津波を体験した山田智子さんは、津波が来る前の情報では3mと言われていたが、映像を見られる携帯電話で岩手県の大津波の映像を見て、ビル屋上に移動したことで助かったという実体験を話した。どちらのケースも「情報をいかに素早く得るか」が重要だということがわかる。

グループ別にアドバイスをする野口代准教授(右)とゼネラルパートナーズの佐藤古都局長(左)

野口准教授も、障がい者の災害時のハードルは情報入手と移動にあると指摘。そのためにも災害時に健常者と障がい者がどのように連携すればいいかを普段から確認しておくことが重要だという。

ワークショップの最後には、「広域避難場所を確認する」「ハザードマップを前もって見ておく」「近隣の人と普段からコミュニケーションをとる」「社内や家族との連絡方法を確立する」など今後防災のために取り組みたいことを参加者全員が発表した。

ワークショップを主催した同社ブランディング統括局佐藤古都局長は、「防災を切り口にお互いの困りごとや心配ごとを共有することが、障がいの有無に限らず発災時の備えになる。また、普段はあまり話したことがない人ともディスカッションしやすいテーマなので、チームビルディングとしても有効ではないかと感じている」と話し、「今後は障がい者雇用を行う企業にもワークショップをパッケージ化して提案していきたい」と語った。


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災害に立ち向かう令和へ、北海道で防災ネットワーク

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災害の続いた平成の30年間。特に最後の1年は大阪北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など数多くの災害がおこり被害は日本全土に広がった。既存のボランティア団体や国の対応では間に合わない現状が浮き彫りとなり、官・民・NPOの協働が必要として新たな災害対応の仕組みづくりが模索されている。令和の新たな時代、今後やってくる大規模災害にむけての取り組みが北海道から新しく始まった。(寄稿・福地 波宇郎)

昨年9月6日に発生した北海道胆振東部地震。今年2月には震度6の余震もあり、住民たちはふたたびの揺れに不安を隠せなかった。被害の大きかった北海道厚真町。町の特産品に木炭がある。しかし、胆振東部地震により4軒あった窯元はすべて被災、年齢やほかの仕事との兼ね合いなどから1軒を残しすべて廃業を決断した。

地震により窯は崩落、炭の焼けない状態となった

唯一営業を再開した「かまた木炭」も4基あった炭焼き窯がすべて崩落、専業で炭焼きを行っていた同社は厳冬期を前に収入のすべを絶たれてしまった。社長の鎌田武一さん(39)は青森から移住して15年前に炭焼きに弟子入り、今の炭焼き窯を受け継ぎ4年が過ぎたところだった。一度ボランティアが入り、2号窯までの再建を行ったのが昨年秋。しかし2月の余震で再建した窯もまた崩落してしまった。

完成した窯とプロジェクトに参加したみなさん

2度の被災にすっかり肩を落としていた鎌田さんだったが、もう一度再起を決断、それを後押しする形で北海道内の技術系災害支援を行う5団体が結成した「北海道災害技術系ネットワーク」が「炭窯再生プロジェクト」を立ち上げた。

4月中、3回の週末6日間にわたりボランティアを募集、のべ222名の参加者とネットワークスタッフ、昨年支援に入り、外部からネットワークの活動を支援する宮城県の災害緊急支援団体OPEN JAPANの重機オペレーターやコーディネーターもともに活動した。

火山灰と粘土を混ぜ合わせていくボランティア

炭焼き窯は一度作れば30年持つといわれ、鎌田さんも窯作りは初めての経験だった。同業の先輩たちからもアドバイスを受け、社員3人で作り直していたが粘土と火山灰を捏ねあわせ壁を作る作業量は膨大なものだった。道内ボランティアの力を借り再建に向かう鎌田さんたちの姿を見て、土砂崩れにより廃業を余儀なくされた先輩が残っていたナラ材をプレゼントして欲しいとボランティアに依頼する一幕も見られた。

ボランティアにお礼を述べる鎌田さん

プロジェクトは3週で目標であった2号窯までの再建と3号窯の屋根づくりまでを無事に達成した。鎌田さんは「みなさんのおかげでもう一度頑張れます、あきらめたときもあったけれど、また炭を焼いていきます」と満面の笑みを浮かべて参加者にお礼の言葉を述べていた。今月末にはずっと待ってもらっていた本州の取引先に炭を納品できる予定だ。

平成に入り阪神淡路大震災がボランティア元年と呼ばれた。その後中越地震や東日本大震災を経て災害支援団体も多数設立、ボランティア経験者も増えた。今まで個々で動いていたそれぞれのノウハウや技術力をネットワーク化し、国や自治体と力をあわせることで今後の広域災害に対応していく組織作りがこれからの重要な課題となっていく。

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防災士目指す小学生も、防災映画「いつはな」の魅力

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「防災士の資格を取りたい」――熊本県荒尾市に住む小学5年生の今村結麻ちゃんは防災士を目指して勉強中だ。きっかけは、「いつはな」と呼ばれるドキュメンタリー映画。影響を受けたのは結麻ちゃんだけではない。静岡県にある私立高校では上映を機に、校内ハザードマップをつくり、学校全体で防災力を強化。都内在住の大学生は防災情報を発信するためYouTubeチャンネルを開設した。(オルタナS編集長=池田 真隆)

防災啓発ドキュメンタリー映画「いつか君の花明かりには」の1シーン、花明かりとは、花の色であたりが明るく見えるという意

このドキュメンタリー映画のタイトルは「いつか君の花明かりには」。「いつはな」という愛称で知られている。同作の中心となる舞台は、東日本大震災による津波被害を受けた岩手県陸前高田市。同市では、将来世代への防災普及啓発の一環として、津波の最高到達地点に桜を植える植樹活動が行なわれている。

同作では、この取り組みを主催している認定NPO法人桜ライン311代表の岡本翔馬さんや熊本県で「歌うママ防災士」という肩書で活動している柳原志保さん、徳島県で大人顔負けの防災に取り組む津田中学校防災学習倶楽部などを追った。草の根で活動する当事者だけでなく、防災の専門家や戸羽太・陸前高田市長も出演し、防災の大切さを訴える。

桜ライン311では津波の最高到達地点に桜の木を植えている

監督を務めたのは、インディーズ映画で異例の47都道府県上映を実施した小川光一さんと建築の知識を生かして家庭向けの防災啓発活動などを行う山崎光さん。

いつはなは、すでに21都道府県で上映されたが、すべて有志による「自主上映会」という形で公開された。主催団体は、防災に関心のある個人から学校、企業、自治体、NPOなどさまざまだ。基本プランは映画上映と監督講演のセットで5万円と交通費で受け付けている。

講演会で全国を訪れる小川さん

草の根で活動するキーパーソンを追った内容の映画だが、いつはなそのものも草の根で防災の輪を広げてきた。小学校5年生の今村結麻ちゃんは、熊本県荒尾市で開かれた上映会のスタッフとして、母親と参加した。

上映会を機に、防災に強い関心を持ち、地域で防災イベントがあると、お手伝いとして行くようになった。今の目標は、「防災士になること」。熊本県ではまだ小学生防災士は誕生したことがなく、もし小学生の内に防災士になれば、史上初となる。

■防災団体のメンバーが6倍に

静岡県にある暁秀中学校・高等学校でも防災の明かりが灯った。同校は、国際バカロレア資格認定校で、国語以外の科目を英語で行うコースもある。生徒会長を決める選挙で、防災研究会の立ち上げを公約に掲げた柏木結大くん(高校3年)が当選したことで、国語教師の一木綾さんがいつはなを校内で上映してはどうかと柏木くんに打診した。一木さんは沼津で開かれた上映会に参加しており、「この映画は若者の言葉で防災が語られているので、(生徒が)防災を自分ごと化しやすい」と考えていた。

上映会前は、防災研究会は5人で活動していたが、上映会後、生徒の防災意識が高まり、メンバーが6倍の30人に急増。後日、柏木くんは、監督の小川さんへ感謝の手紙を送ったが、そこには、「上映会を開いた日をこの学校の防災記念日にしたいくらい」といった内容が書かれていたという。

防災の普及啓発に力を入れる東京農業大学に通う小島真さんは、「ぼくが防災をやっているのは、いつはなのおかげ」と言い切る。小島さんは、「農大復耕支援隊」という復興支援団体に所属しながら、防災イベントやYouTubeでの発信を通して、啓発を行う。

小島さんは、「映画に出てくる徳島の中高生たちの言動に衝撃を受けた」と言う。東日本大震災の発生時は、小島さんは小学5年生。「何も活動を起こせていなかった」自分と、映画に出てくる中学生を対比させ、「いつはなを観るたびに、防災に力を入れる理由を思い出す。この映画は、ぼくにとって、防災の原点」と述べる。

■9月7日には、東京でチャリティ上映会

9月7日に行うチャリティ上映会、諸経費を差し引いた収益金は全て、2014年広島土砂災害以降より防災活動等に従事する「復興交流館モンドラゴン」、2認定NPO法人桜ライン311の二団体に寄付する

9月7日には、いつはなの製作実行委員会が新宿で、チャリティ上映会を開く。上映会後には、映画の出演者や監督による講演会、主題歌を書き下ろしたアーティスト「butterfly in the stomach」のライブも行う。定員は392人で、参加費は1000円。参加申し込みは公式サイトへ。



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